<年収25万ドルの弁護士から北欧衣料の輸入販売に転身。コロナの逆境をはね返して実店舗をオープン>
私は16年間、法廷弁護士をやっていた。プレッシャーはきついが、信念を持って仕事をしてきた。扱うのは、たいてい待遇に不満な従業員を代表して会社と争う事案だった。でも、疲れた。今の訴訟は証拠隠しのゲームと化している。証拠書類は全てデジタルだから、もみ消すのも隠すのも簡単。やりきれなかった。
それで8年前、私は弁護士の仕事を辞めた(当時の年収は25万ドルほどだった)。そして同業者の妻と一緒に、大学院で勉強するためにノルウェーに渡った。オスロ大学でインターネット関連の法を学び、デジタルの世界でビジネスを営むノウハウを知った。この経験が、私たちの人生の新たな展開につながった。
オスロに滞在中、ノルウェーのライフスタイルが米コロラド州、特に故郷のデンバーに似ていることに気付いた。アウトドアや衣服に対する考え方も似ていた。私たちは北欧の小さなブランドを数多く発見し、その品質の高さに感銘を受けた。
アメリカからの旅行者が好んで買うブランドがあることにも気付いた。そこで、こうしたブランドをアメリカで買えるようにしたいと考えた。
素肌にじかに着られるメリノウール
ノルウェーに13カ月滞在した後、2017年8月に帰国した私たちは、翌年から北欧の企業に連絡を取り始め、その製品をアメリカ市場で販売するアイデアを提案した。
北欧の衣類をアメリカで売りたい理由の1つは、アメリカでは手に入らない高品質のメリノウールが使われていることだった。アメリカでは粗い手触りのラムウールが主流で、肌に直接触れるような着方は想定されていない。でもソフトで快適なメリノウールなら、じかに着られる。
メールでのやりとりは面倒だった。当初の売り上げは1日1着程度だったが、それでも運転資金がもったのは弁護士時代の貯金のおかげだ。
18年7月にオンラインストアを開設し、10月にウェブサイトを公開した。最初の1年はネット通販の基礎を学ぶ勉強期間だった。ソーシャルメディアは零細企業にとってありがたいプラットフォームで、見込み客とのやりとりはいい経験になった。
長期的な目標は5年後ぐらいに実店舗を構えることだった。だが20年に起きた新型コロナウイルスの感染爆発が追い風になった。実店舗で買い物ができなくなったため、オンラインショッピングの利用客が増え、売り上げが伸びた。
からの記事と詳細 ( 今の裁判は「証拠隠し」のゲームに...年収25万ドルの米弁護士が、衣料品店オーナーに転身した理由 - ニューズウィーク日本版 )
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