ドライブレコーダーには男女の口論の様子が記録されていた。「腕折られるのも嫌、殺されるのも嫌」切迫した雰囲気だ。2人はタクシーを降り、その後女性は死亡。くも膜下出血の原因は「脳動脈瘤があったかもしれない」、そうした判断で「不起訴」で捜査終結した。母親は、民事裁判で得た”新たな証拠”を手に、検察に再捜査を求める。
7年前の事件後に亡くなった娘…母「助けられなくてごめん」
今年4月、兵庫県芦屋市の路上で、ひとり手を合わせ涙を流す女性がいた。
(手を合わせる有友裕子さん)
「尚子を返してほしい。こんな悔しいことはない。助けられなくて…ごめんね」
有友裕子さん(71)。7年前、この場所で娘の尚子さんがある事件に巻き込まれたという。
(尚子さんの母親 有友裕子さん)
「冬場の寒い時に路上で倒れていたんですよ。それを想像しただけで申し訳ない…」
事件は2015年12月28日の深夜に起きた。尚子さんは元交際相手のA氏とタクシーに乗車中に口論となり、車外に出た際にA氏に殴られたという。
そしてその13日後に搬送先の病院で帰らぬ人となった。
(尚子さんの母親 有友裕子さん)
「(Qお兄さんがいらっしゃるんですか?)そうです。6歳違いと7歳違いですね。やっとできた女の子で、うちの母も父も女の子が好きだから大喜びで」
年が離れた2人の兄に囲まれ、典型的な“お兄ちゃん子”だった尚子さん。学生時代は生徒会を務めたり学園祭でダンスを披露したりと、とにかく前に出るのが好きだったという。
(尚子さんの母親 有友裕子さん)
「自分より先に子どもを亡くしたらつらいといいますけど、遺族にならないとそういう気持ちはわからないだろうなと。(悲しみが)だんだん薄れていくのかなと思ったら違って、だんだん強くなってきましたね」
事件当日のドライブレコーダーに記録された『尚子さん・A氏のやりとり』
事件当日、尚子さんの身に一体何が起きたのか。当時のタクシーのドライブレコーダーの映像が残されている。
【タクシー内でのやりとり 事件当日のドライブレコーダー映像より】
1人でタクシーに乗り込んだ尚子さん。
(運転手)「ご利用ありがとうございます。足元お気をつけください」
その直後。
(尚子さん)「もうちょっと前に行ってもらっていいですか?あんた!乗るん?情緒不安定な感じやめて」
外にいる男性がA氏だ。A氏に話しかける尚子さん、この時点で2人はすでに険悪なように見える。
A氏がタクシーに乗り込むと口論はすぐに始まった。
(A氏)「尚子やめよう?」
(尚子さん)「ちょっとやめて、持たんといて」
(A氏)「なんやねんもう」
(運転手)「どうされましたか?」
アルコールの入ったカップルの痴話喧嘩のようにも見える。ところが…。
(尚子さん)「やめて。腕を折られるのも嫌やから。殺されんのも嫌。だから早く警察行ってあんたは!」
(A氏)「そんなんじゃないじゃん」
(尚子さん)「早く降りてよ。あんたに殺されるのが一番怖い」
『殺される』と繰り返し切羽詰まった様子だ。何があったのか。
実は事件の1か月半前、尚子さんはA氏から全治4週間を要する暴行を受け、被害届を提出していた。
(運転手)「今回は別れてから…後日また話し合いされたほうが」
口論からしばらくして、見かねた運転手が声をかけ2人は外に。そして尚子さんが車内に戻りかけた次の瞬間。
(A氏)「痛っ!てめえ!やめろ!」
車外に轟いたA氏の大きな怒号。尚子さんの声は聞こえなくなった。
(運転手)「呼んだほうがいいですかね?救急車を呼んだほうがいいですかね?」
『あったかもしれない脳動脈瘤が破裂した可能性』でA氏は不起訴に
警察はA氏を傷害の疑いで逮捕。その13日後に尚子さんが亡くなったことから、容疑を傷害致死に切り替えて捜査した。ところが…。
(神戸地検尼崎支部)
「A氏に対する傷害致死事件は『不起訴処分』としたので通知します」
神戸地検尼崎支部は傷害の事実を認めていたA氏を不起訴にしたのだ。嫌疑不十分だった。なぜなのか?
当初、司法解剖で尚子さんの死因は顔面付近への衝撃による「くも膜下出血」だと判断された。しかし検察は、くも膜下出血の原因は尚子さんの頭にあったかもしれない「脳動脈瘤」が事件当時に偶然破裂した可能性が捨てきれないと判断。不起訴の根拠となった。
続く検察審査会もこの不起訴処分を妥当と判断した。
(尚子さんの母親 有友裕子さん)
「え?と思って。(尚子さんが生前通っていた)かかりつけのお医者さんのところに行って、『娘に(脳動脈瘤の)兆候がありましたか?』と聞いたら『兆候は全くないですよ』って言われて。すごく悔しかったですね」
民事裁判起こすも1審は敗訴…A氏は暴行も認めず
有友さんは、尚子さんに脳動脈瘤があったと一度も聞いたことはなかった。“仮定の話”で捜査が終結したことに納得できず、2018年に娘の死の原因を明らかにするために民事裁判を起こした。
A氏は法廷でこう反論した。
(A氏)
「私は暴行を振るっていません。当時、尚子さんは私に対して一方的に激しく暴行を加えていました。激高したことで興奮が高まり、くも膜下出血を発症したのではないでしょうか」
民事裁判でA氏は暴行したことさえ認めなかった。しかし裁判官が出した判決は…。
(裁判官)
「A氏が尚子さんの顔面を殴打した強度などが証拠上明らかでない。よって、くも膜下出血がA氏の暴力に起因するものとはいえない」
訴えはここでも退けられた。
有友さんのノートには当時の心境がこう綴られている。
(ノートに綴られた内容)
「12月26日に民事裁判が敗訴。なぜ、負けたのか?とてもくやしい。娘の無念を晴らす」
状況を変えた“ある医師の鑑定書”
2審に向けて“A氏の暴行”と“尚子さんの死亡”との因果関係をどう立証するのか。複数の医師に鑑定依頼を出しては断られる日々が続いた。しかしB医師から届いた鑑定書が状況を一変させることになる。
(B医師による鑑定書の内容)
「搬送された病院での3DCTを見ると、明らかな脳動脈瘤は指摘できない。殴打されたことによりくも膜下出血を生じたのではないか」
B医師によると、尚子さんは顔面を殴打されたことで急激に首をひねり、脳に血液を送る動脈に亀裂が生じたという。その結果、脳を包む膜の中に血液がたまり、くも膜下出血が起きたというのだ。有友さんはこの鑑定書を新たな証拠として提出した。
(尚子さんの母親 有友裕子さん)
「この先生は神様だなと思って。娘がこういう理由で亡くなったんだなということは初めてわかって、これなら裁判に絶対に勝てるなと思いましたね」
大阪高裁はA氏に賠償命じる判決
去年6月、大阪高裁はB医師の鑑定書を拠り所とし、A氏に賠償を命じる判決を言い渡した。判決は確定したがA氏から謝罪の言葉はなかった。
母親は神戸地検尼崎支部に“再起”を申し入れ
そして今年7月27日。有友さんは6年前にA氏を不起訴処分とした神戸地検尼崎支部にいた。
(尚子さんの母親 有友裕子さん)
「なんで不起訴なのかと。『この事件は不起訴でいいんですか?』というのを(検察官には)もう少し確かめていただきたい。(A氏には)ちゃんと自分の罪を認めてもらって娘に謝罪の気持ちを伝えてもらいたいという思い」
有友さんがしたのは“再起”の申し入れ。捜査が終結した事件でも、再起という検察の内部手続きにより再捜査ができるのだ。異例だが起訴へと発展した事例もあるという。
罪に問えなかった事件でも、それが無実だったと言いきれるのか。有友さんは諦めない。娘の無念が晴れるまで。
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