19世紀後半に米国コロラド州の雪山で遭難した際に、5人の仲間の肉を食べて生き延びた「アルフレッド・パッカー事件」を追った後編。
前編「「コロラドの人食い男」は殺人鬼なのか、19世紀の衝撃事件を追う」を読む
レイクシティにあるヒンズデール郡裁判所は、1877年に建てられ、最近になって昔のような外観に改修された。今も使用されている裁判所の建物としては、コロラド州で最も古い。中に入ると、歩くたびに木の床がぎしぎしと音を立てる。壁には、パッカーの裁判を報じた新聞記事や裁判の公式記録などが飾られている。
2階にある法廷も、パッカーの時代からほとんど変わっていない。ただ、陶器のたん壺と「床にたんを吐くな」と書かれた注意書きはなくなっている。部屋の後ろの隅には、パッカーの肖像画が飾られていた。
「死んで、死んで、死ぬまで絞首刑」
1883年4月9日、パッカーの裁判が始まると、法廷は傍聴人でいっぱいになった。検察側の証人は20人以上。地元で有名な実業家のオットー・ミアーズは、パッカーが山から下りてきたとき、ウェルズ・ファーゴ銀行の高額の為替手形を所持していたと証言した。また、保安官のハーマン・ラウターは、ナイフを差し出すよう命じたところ、パッカーに襲い掛かられたと主張した。その目には殺意がこもっていたという。
冬の間ユート族の集落で待機することにした探鉱者仲間の一人プレストン・ナターは、パッカーが仲間の所持金額を知ろうと嗅ぎまわっていたと語った。
パッカーも証言台に立ち、6時間にわたってだらだらと証言した。それによると、激しい天候に見舞われた探鉱者たちは、雪と風から身を守るため、狭い谷間にキャンプを張ることにしたという。
パッカーは後に、次のような手紙を書いている。「靴に使われていたヤギの皮やバラのつぼみを食べて飢えをしのいだが、誰もが弱り果ててやせ細り、精神は完全に混乱していた。それでも、6人の中で正気を保っていた者がいたとすれば、それは私だった」
ある日、毛布の下で震える仲間を残し、パッカーは山から抜け出せる道を探すためにキャンプを離れた。その後戻ってみると、シャノン・ウィルソン・ベルが焚火で肉を焼いていた。パッカーが近づくと、ベルは手斧をつかんで襲い掛かってきた。
パッカーは持っていた銃でベルを撃ち、手斧を奪うと、ベルの頭に一撃を加えて殺害した。その後、ベルが他の男たちを手斧で叩き殺していたことを知って愕然とした。
パッカーは、山を下りるまで仲間の肉を食べて生き延びたことについては隠し立てすることなく認めたが、自分が殺したのはベル一人だけであり、それも正当防衛だったと主張して譲らなかった。
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からの記事と詳細 ( 「コロラドの人食い男」は殺人鬼にあらず? 新たな“決定的証拠” - ナショナル ジオグラフィック日本版 )
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