冷戦下で日本とソ連の両首脳が渡り合った唯一の本格的な会談といえる、田中角栄首相の1973年訪ソ時のブレジネフ書記長との会談。朝日新聞が入手した極秘会談録をもとに、北方領土問題をめぐるつばぜり合いを再現してきた。
この会談録を蔵した三木武夫氏は当時の副総理で、田中首相の次の首相になった人物だ。文書の中で、田中首相が日ソ平和条約締結の前提として「四島」の領土問題を認めるよう迫ったくだりには、三木氏のものと思われる手書きの波線が赤鉛筆で引かれている。
日ソ国交回復から十数年を経た田中内閣になってようやく、「領土問題は解決済み」と硬化していたソ連が平和条約締結交渉に応じた。それを継いだ三木首相の姿勢を振り返り、この連載を締めくくりたい。
三木内閣発足直後の75年1月、宮沢喜一外相が訪ソしグロムイコ外相と会談した際には、「領土問題は解決済み」という主張は出なかった。三木首相はこれをふまえ、同月の施政方針演説で「30年後の日ソ関係の展望」を強調し、「前向きの発想で領土問題に取り組む」と述べた。
拡大する来日したグロムイコ・ソ連外相と談笑する(左へ)三木武夫首相、福田赳夫副総理、宮沢喜一外相=1976年1月、首相官邸。代表撮影
その9月、「二島凍結論」が波紋を広げる。日ソ国交回復時の56年宣言には平和条約締結後の二島引き渡しが記されているが、残り二島に言及がない。そこで首相側近の元外交官・平沢和重氏が米紙への寄稿で、残り二島の問題は「今世紀末まで凍結」し、平和条約締結を先行させるべきだと唱えたのだった。
同じ9月には、元外交官の三宅…
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角栄後、冷めた熱 日ロの今も、領土問題未解決のまま - 朝日新聞デジタル版
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